物理や数学が苦手な人のための感覚

僕は数学や物理が好きです。

一方、化学が大嫌いです。
また、物理の”光”の範囲もあまり好きではありません。
なぜならば”理解出来ない”からです。

勉強をする時、僕は常に”感覚的に理解”したがります。
なので想像もできないような世界の「化学」や、計算していても近似を多用する”光”があまり好きにはなれません。でも、その他の範囲は好きです。

 

今の自分の学年の数学の先生の教え方がすごく好きです。
どういうものかというと、常に問題を見たら”方針”を立てます。

例えば、
y=|x-1|+|x^2+2x+2|というような式があれば、まずなぜこの問題が面倒なのか考えます。
→絶対値があるから鬱陶しいんだ!なければただの二次関数なのに!
ではその方針に従って絶対値を外したいと思う
→場合分けすればいいじゃない?
→……
というような流れです。

他学年の方もこの考え方はすごく楽になると思います。

特に図形の問題において、
面積を求めたい→この辺の長さがわかればいいのに→あっ
となったりすることが多いです。

”解法”いきなり考えられるのであればそれでいいんでしょうが、分からない場合、駿台の先生はいつも条件をまとめています。そしてあの人の頭の中には同時に3つの解き方が思い浮かぶらしく、計算が簡単らしいものから検証していくそうです。
そしてとけなければ別の解き方へ。

それにプログラミングでも一番最初に考えることです。

また、”感覚的理解”の話をします。
例えば多項定理。

こんなの覚えると大変。でもセンスをとぎすませて考えれば、
(x+y+z)^10の中のx^3・y^5・z^2の係数を求めたい時、
(x+y+z)^10=(x+y+z)(x+y+z)(x+y+z)(x+y+z)(x+y+z)(x+y+z)(x+y+z)(x+y+z)(x+y+z)(x+y+z)
より、この10このカッコ中からxを3回、yを5回、zを2回とる組み合わせは10C3*7C5*3C3になります。
それが答えになります。

まぁこれは授業でも習うレベルの事ですが、僕は何でも公式が出てきたら、基本的には全て(もちろん定義はのぞく)なにか関連付けさせて感覚的に理解します。

物理も同様です。
前回のテスト範囲の話をすると、
波の干渉の際、明線条件/暗線条件があります。L1-L2=(2m+1)・1.2λという感じの式です。
また、ドップラー効果の話では、λ’=λ*(334+0.6t+v)/(334+0.6t)という感じの、式が出てきます。
屈折の話では、λ’=(n1/n2)・λという式が出てきます。

こういう式に対して僕は”当たり前”という感情を抱こうとします。習ってない人は、習ったときに良く考えてみてください。少なくとも暗記するものではないはずです。

感覚理解のメリットは、少ないテスト勉強である程度の点数を取れること。応用性があること
デメリットは、基礎問題に弱い(さすがに公式暗記よりはミスしやすいという意味)ことです。

個人的にはいい方法だと思ってるんですが、本当にこれしかできなくなると化学がすごく嫌いになります……

※あくまで自分が”苦手”ではないから”苦手”な人向きにかいた文章です。もちろん僕の能力では”得意”な人にかないません。”得意”な人がどのような考え方をしているのか僕は知りません。あくまで考え方の一つとして、”苦手ではない”僕の考え方をここで紹介したまでであるということをご了承ください。

>プログラミングの適性について

>プログラミングには適性がある、とよく言われる。


これを聞いて、”適性”という言葉の意味を辞書で調べてみた。
     ”適性”   :性格や性質が、その物事に適していること。また、その性格や性質。
     ”適する”:それにふさわしい素質や能力がある。
     ”素質”  :生まれつきもっている性質。


とりあえず適した能力があるか、ってことですね。


これは正しいか……と聞かれると答えられない。
自分がプログラミングを勉強したときのことを覚えていない。誰かに教えられたのか、独学だったのかもわからない(まぁ教えてくれる人は近くにいなかったはず)少なくともその時は”適性があるか”なんて考えずにプログラミングを勉強していた。


後輩を見ていて、「この人はプログラミングに向いていなさそうだ」と思うことがたまにある。根拠はわからない。でも、何となく感じる。


プログラミングは、覚えてしまえばだれだって書ける。もっと言うならば、ネットから誰かのプログラムを探してコピペすれば小学生だって作れる。
でも、そんなプログラミングに意味はあるのか?
数学や物理の問題で、公式だけ覚えて問題がとけるか?似てるんじゃないかなと思う。もちろん覚えれば基本的なことは機械的に解決できる。でも、それ以上伸びないと思う。


僕が思うに、ロボカップレベルのアマチュアのプログラマに必要なのは”やる気”と”発想力”だと思う。


プログラムの基礎というか、根幹のシステムをある程度理解してからでないとプログラムは発展できないと思う。また、C言語を始めたばかりの頃はCUIで文字を表示させる程度のことしかできなくて、ゲームを作りたいとノリで思っただけの人はよく飛ばそうとする。そしてコピペだけの世界に入っていく。
アマチュアといえど、そんな人をプログラマと呼んでいいものか?
そこに耐える、耐えてまでやり遂げようとする”やる気”が最も必要なのではないでしょうか?


発想力については、
僕らアマチュアの世界では、新回路の設計は非常に難解なので、確立された回路をつなぎあわせて設計していきます。それに比べてプログラミングは著作権も存在するほど、クリエイティブな仕事です。なので、発想力はある程度必要だと思います。
与えられた条件から、目的の事をなす。発想力がなければ厳しいかもしれません。でも、これも発想力だけあってもプログラムの根幹、つまりコンピュータの得意/不得意を理解していたほうが圧倒的に有利であり、暗記している人に勝てる大きなポイントでもあります。


故に僕は、
ここまで”適性”という言葉で語られてきた事柄は、”プログラミングに臨む態度”ではないかという結論に達しました。
嫌になりそうになっても飛ばさずに、最初からきっちりやってこそ理解し、応用力のある能力を身につけることができる。そう思います。少なくとも僕は。

>学校

>学校の授業は何を教えるべきなのか、と考えました。

今中学三年生の英語の授業では
ユメタンという英単語帳と英検のテキストとDUAL SCOPE(英語の参考書)を使っているそうです。
……つまり長文のテキストはないです

僕がこれを見て思ったのは
「暗記させようとしすぎ」ということです。
単語帳で単語を覚えさせられ、英検テキストでイリオムを覚えさせられ、参考書で例文を覚えさせられる。まるで詰め込み塾です。
(ちなみにDUAL SCOPEは中に色々な文(仮定法でも分詞構文でも)が出ていて、そのパターンを全て暗記させようというような作りになっています)

例年は
CROWNを使用した長文演習を通じてイリオムを学び、速読英単語で単語覚えつつ、基礎英語でリスニング力を高めつつ、ゆったりと模試に備え、「まぁ初めての模試だから」と言って軽く済ます
というのが洛星のスタイルでした。

しかし今年CROWNをやらずに英検/英単語だけ覚えさせるというのはいかがなものか。

まず「基礎を固める」という洛星の教育方針に逆らいまくっているのが一つ。
これはなぜか?

いま中学三年生の英語の担当はK馬という非常に頭の悪い教師らしいです。
洛星では初めての全国模試は中学三年生で受けるのですが、模試の成績は他学年と比較することができます。つまり質の悪い教師に教えられた中三が今のまま模試を受ければ圧倒的に低い点数になり、自分の質の悪さが露呈するわけです。
そこをどうにか変えようとしているのかなぁと思いました。

学校でここまで暗記させたところで、どうせ受験には忘れる。というか、英作文の能力とかがすごく欠けそうな気がする。
少なくとも、暗記は学校でやるものではないと思う。

学校は(仮にも)教師という名前のつく、一定の知識を(少なくとも過去には)持っていた人がいるから行く意味があるのであって、暗記するだけなら家でいいでしょう。

まぁこんなこと書くのもあの教師への元々の嫌悪感が大きいからでしょうが。

>世界の狭さ

>世界って狭い、とよく感じます。

僕が初めてそんな感情を抱いたのは中学3年生の時。友達と「ぷよぷよ」のオンライン対戦をした時です。

「世界中の誰かと対戦」を選択して通信を開始します。
するとどうしたことでしょう。友達と当たりました。

これが初めて世界の狭さを感じた瞬間でした。

最近はTwitterやfacebookで知り合いを見つけたり、学校の先生を見つけたり、そういう点で世界の狭さを感じます。

Internet shirink the world.

素晴らしいです

>地震、その後

>地震の後、いろいろな出来事があります。

現地では津波被害があったり、盗難や強姦被害があったり、食料不足があったりします。

現地以外でも、台湾から支援金3億8000万円が送られてきたり、アメリカから救助隊が派遣されたりします。

そのひとつ、ネットではいろいろな種類の人がいろいろ騒いでるわけです。

例えば、

ツタヤがやっちまった、この地震の中、不謹慎にもほどがあると怒りの声あがる

この事件。

TSUTAYA社員が「テレビは地震特番ばかりでつまらない」と言ったことで2chが炎上しました。

これについて、少々徒然草から引用したいと思います。第30段です。

1.人の亡きあとばかり、悲しきはなし。

2.中陰のほど、山里などに移ろひて、便あしく、狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営

3.み合へる、心あわたゝし。日数の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情

4.けなう、たがひに言ふ事もなく、我賢げに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。も

5.との住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかし

6.こ、跡のため忌むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほ

7.うたて覚ゆれ。

8.年月経ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さはい

9.へど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。骸は気うとき山の

10.中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、ほどなく、卒都婆も苔むし、木の葉

11.降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

12.思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかり

13.の末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだ

14.に知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽び

15.し松も千年を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬ

16.るぞ悲しき。





という文章です。





中陰というのは人が亡くなってから49日間のことです。……はここではどうでもよくて

読んで欲しいのは5~7行目にかけての文章です。

『そういう事は、まぁなんて縁起の悪い、後の子孫のために避けるべきですよ』なんて言うことは、こんな悲しい状況で何を言っているんだと人の心はいやらしいものだと思わされてしまう

という意味です。

つまり、不謹慎だ、と騒いでいる人を批判しているわけです。

確かに、不謹慎だと騒ぐ人は心のどこかで「本当はそうだけど、でも体裁を保つためには」という感情をいだいているように思われます。

世の中の意見ってすごい複雑ですね