自己の教育論

先に書きます!逃げの言葉!
反論は認める。

先日Twitterにも書いたんですが、
ロウきゅーぶ!!
とかいうアニメがありますが、あぁいうアニメ、完全にターゲット(今回はロリコン)が絞られてますよね。

でも、ロリコンうけするアニメって、ロリコンにしか作れないと思うんですよ。
いくらロリコンについて研究している学者がいたとしても、ロリコン達本人による「こうした方がいい」っていう意見ほど効力のあるものはないと思います。

これがいい教育の根幹にあると思っています。
つまり、いくら知識などを積み重ねても、自らの感性・経験にまさるものはない、ということです。

例をあげます。理系にしかわからないかもしれません。
かつて(高3の夏頃)、乳酸の真ん中のCがなぜ不斉炭素原子なのかわからない、という質問をされました。それに対し、
「直接つながってるのは同じCでも、真ん中のCにつながってるものはそれぞれに付いているもの全てを一塊で考える」
と答えました。かつて僕も同じミスを犯していたことがあったから、なにを勘違いしていたのかわかったわけです。何も困らずに頭がいい人は、「Cにつながってるもの全部違うやん」の一言であったと思います。

ロボット作りに関して前に、宇宙兄弟を引っ張りながら
「失敗からしか成長しない」のような内容のことを書きましたが、
(http://blog.half-ldk.rakusei.net/?p=742)
これも同じようなことです。おなじ失敗の経験をした人しか、その失敗に対する対処法を知らないし、教えられないと思います。

教育系のバイトは学歴至上主義のようなものがあるようで、京大生協の斡旋で、京大生の家庭教師として派遣されるバイト、時給は2500〜3500円です。高すぎです。
僕のバイトでは京都大学/大阪教育大学/京都教育大学/大阪大学/奈良女子大学など多くの大学から人が来ますが、僕なんかより、他大学の人のほうが教えるのうまいです。それにもかかわらず、そんな大金をもらって働くなんてできないです。だからこそもっと時給の安いバイトをしています。(1000円未満)
さらに、京大生だからといって教えるのがうまいとは限らないとはある程度はわかっているのでしょうが、それでも期待して、京大生協に依頼するのでしょう。正直、大半の人が僕より下手だと思います。

僕は、父親は一浪で全然偏差値高くない私大に入って卒業、母親は短大卒です。従兄弟は5人いますが、全員が私大です。うち一人は専門学校。遺伝子などないです。それでもここ、京都大学まで来ることができました。それには当然多くの問題があったし、失敗の経験も多いと思っています。
だからこそ、人に教えたいと思うんです。

ものづくりー宇宙兄弟

宇宙兄弟というアニメが放送中です。

そこで最近主人公である南波六太が、ものづくりについて結構いいことを言っていて、
納得・懐かしさなどいろいろな思いが迫ってきています。

最近は”なにか作りたい”とは思うものの、これといって作りたいものがなく、後回しになっています。土日教習所に通っているというのも大きいです。
だからこそものづくりに関して思い返した時、とても懐かしく、またいま何もしていない自分に疑問を投げかけたくなります。

「ものづくりには、失敗にかける金と労力が必要なんだ」
とてもそう思います。これが一番同意して涙が出そうになりました。
ものづくりは試行錯誤の繰り返しで、特にロボットを作る時なんて、外光・電磁波・電池の消耗など、何かしらの影響で、思い通りに動くわけがなかったです。
やってみて、失敗する。問題が起これば原因を考え、修正する。
繰り返して、出来る限りよい物にしていく。際限のないループです。
原因が見つからないこともあります。お風呂で考えるのはいつものことでしたが、それでもわからないときは布団に入ってからも考えて、思いついたら起きてそれを修正したプログラムを書いてみる、なんてこともありました。それでも治らないならなんとか別の方法を考えてみたり。

労力だけでなく金もかかるっていうのがこの言葉のまた面白いところです。
確かにボールを保持する機構

とか
ボールをキックする機構

の昇圧回路の部分
とか結構いろいろなバージョン作りましたし、モーターを回すための回路もかなり作って、かなり捨てたと思います。

ロボットを作るときに、ロボット代は実質おそらく1,2万円だと思うのに、一年間にロボット系に使ったお金を計算してみると10万円ぐらいいってたりしました。

「本気の失敗には価値がある」
これは僕も中1によく言っていました。
試合に本気で挑まないなら出るな、本気ならば、できなくてもいいから最大限努力せよ
と。
これは本気になって最大限努力すれば僕も手伝うよっていう意味だったんですが・・・単に怖い先輩だと思われたかもしれません。

これも試行錯誤の繰り返しの一つであるという意味で、上の言葉とも類似する部分があります。

「いい素材を使ってるものがいいものとは限らない」
正直あんまり良くないものだと頭打ちがあるので、ある程度はいいものを使うっていうのは必要条件ではあると思いますが、どんなものでも試行錯誤の繰り返し=失敗の積み重ねによっていいものが生まれる

以上のように、六太の言葉は、習うものではなく、ものづくりをしていると、経験的にそう思うようになっていくのであると思います。

やっぱりなにか作りたい・・・

Rasberry Pi買いました