>インフルエンザ

>最近、自分の学校ではインフルエンザが流行っています。

学校には「『流行』には、のらないで。」というこんなポスターが貼られているのですが、やはり流行には流される人が多いです。
多い日には自分のクラスだけで7人休みました。

幸い僕は予防接種を打っているので感染は今のところ免れていますが、ウイルスが進化していたら意味が無いので、やはり怖いです。

というのも、僕が参加している「ロボカップジュニア」という大会が開かれるのが、冬~であるためです。

僕は京都の学校から出場するので、

京都ノード→京滋奈ブロック大会→全国大会→世界大会

という流れなのですが、最初の大会である京都ノードの開催が2/27(日)なので、もうすぐなんです。

その上自分はプログラム担当で、直前までプログラムを改良しなければならない。
そんな状況でインフルエンザで倒れたりなんてしたら、一年間を棒にふることになりますしね。

本当に大切な時期なので、インフルエンザが怖くて怖くて……

またロボットが完成したら画像をupすると思います。(まだできてないのかいっ)
京都ノードに参加する方々、お互い正々堂々がんばりましょう!

>麻酔

>今日人生で初めて、麻酔を打ちました。……不名誉なことですが
左奥歯です。

前からお菓子ばかり食べていたので、すごく歯が悪かったんですよ。

そして今日から治療することになりました。

奥歯は麻酔を打ちにくいらしく、効き目がなければ言うように言われていたのですが、
歯を削り始めてびっくり。なんだか家の前で行われている工事の音だけ聞いているような気分でした。

つまり、何も感じなかったです。強いて言うなら長時間口を開けさせられて疲れたことぐらい。

何か刺されて、だんだん温かくなって気づけば何も感じなくなっています。
さすが麻酔ですね。

麻酔を使えるようになるには医師免許をとった後に何年か麻酔科に通わなくちゃいけないそうなのですが、近所のただのおじいちゃんがそんな免許も持っていたことにも驚きました。

大会前のこの時期にこんな自己責任な事情で部活に行けないのは非常に歯がゆい気持ちです。
行ける日くらい本気でやらなければ!

>貧乏について

>江戸時代、日本では「貧乏は自分の責任」という考え方が一般的でした。

つまり、「自分は貧乏だから……」なんて言うことは、今の時代でいう「自分は努力をしなかったクズだから……」と言うのと同じことでした。

しかし明治時代末期になって、河上肇が「貧乏物語」を記して、
「貧乏は国家の責任」という考え方も広まっていきます。

そうして現在。
低所得者にはお金を配って、お金持ちは高額の税金を取られる。こんな社会が出来上がっています。

僕はお金があるかないかというのは、やはり自己責任だと考えます。
なぜなら、普通に努力すればお金が無いはずがないからです。

もしAさんが「お金が欲しい」と思うとしましょう。

ここで、自分の望みは「お金が欲しい」のですから、労働を惜しむようじゃ志が足りないということです。仕事につけなくても、アルバイトぐらいならできますよね。
時給700円のアルバイトを1日3時間、週に5日するとします。(学生でも可能な時間です)
つまり、一週間で\10500儲かるわけです。

ここで、自分はお金が欲しいのだから、食費を削るのも惜しむようじゃ志が足りない。
毎食カップ麺一杯(イズミヤ製品)を食べれば、食費は各色\98、一日で\294、一週間で\2058です。
水くらい公園とかフードコートとかに無料であります。

また、お金が欲しいのであれば、野宿も覚悟すれば、かかる費用は食費だけになるので、
たったこれだけの労働で、一週間で8400円たまります。
一年間これを続ければ、約44万円貯まることになります。

ここまで努力してからじゃないと、お金が足りないなんていう資格はないですよね。

自分の学校でもよく聞きます。

「自分は私学に通っているからお金が無い」と。

それに対して「じゃあ学校辞めれば?」と返すと、いつも「自分の能力を活かしたいんだ」と返されます。

それってつまり、「自分が”自分の能力を活かしたい”という個人的な望みのためにお金を使う」行為あって、「自分が”ゲームで遊びたい”という個人的な望みのためにお金を使う」行為となんらかわりはないですよね。

自分の望みのためにお金を使ったらお金がなくなった!→当たり前じゃ!という話です。

最大限の努力をしてこそ、その努力をサポートされる権利があると思います。